2012年8月31日金曜日

2012年8月9日 広野町②


 広野町のあちこちに民宿があった。この町も昔は観光客で賑わっていたのだろうか。見たところ、今は工事関係者で一杯だ。
 広野町の内陸部は津波の被害の跡が全くない。さすがにこんなところまで津波はやってこなかったようだ。
 ほとんどの家が閉め切っている。床屋も閉店中だ。道を歩いていても住民を目撃することはない。
 町を離れ、楢葉町へ通じる長い坂を上っていくと、サッカー場の看板があった。何台もの乗用車がサッカー場の駐車場に向かって走って行く。
 こんな状況でもサッカーをしている人がいるんだ。
 私は駐車場へ続く坂を駆け上った。駐車場には何台も車が停まっていた。そんな大勢が集まる試合なんだろうか。広野町を活気づけるため、高校生が集まって練習試合をしてるのかもしれない。または、有名なサッカー選手が集まって試合をしてるとか。だったら、町に人が少なかった説明もつく。町の人のほとんどがサッカーの試合を見にきてるのかも。
 私はわくわくして、サッカー場の中を覗いた。
 唖然とした。
 芝生は全部剥がされ、除染業者の車で埋まっていた。サッカー場ではなくなって、軍事基地のように重苦しかった。サッカー選手の叫び声も応援のかけ声も何も聞こえなかった。
 ここは作業員の拠点の一つになっているようだ。
 車から出てきた作業員の方と目が合った。
 私は宿題を忘れた子どものように、バツが悪くなってあとずさった。


 いよいよ警戒禁止区域の手前まで来た。
 あちこちに立ち入り禁止の看板がある。
 福岡で聞いたような自衛隊の車両や強面の警官はいない。人間の身長を越える壁があるとも聞いたが、そんなものはどこにもない。
 警戒禁止区域直前には、簡単なバリケードと除染活動中の作業員がいた。ショベルカーも停まっている。作業員の方は防護服を一切着ておらず、マスクだけだった。
 私は少し離れたところから彼らを見た。
 一生懸命働いている彼らを見ていると、自分が冷やかしの一人に感じられた。東京行きの電車の中で、ジャーナリスト気取りで写真を撮りまくっている人達を思い出した。
 自信を失ってしまった。
 自分も結局はかっこつけて、カメラを持って福島に来ただけじゃないかと思った。
 だが、私もここで何もせずに引き返すわけにはいかない。
 福岡から来て、遠目に見て帰っただけでは、それこそ冷やかしだ。
 私は写真を何枚か撮り、放射線量を測った。
 地面にはミミズもアリもイモムシもいた。
 土は死んでない。
 私は駅へ引き返した。



望遠レンズで火力発電所を撮影した。
海岸沿いはまだ津波の影響が残っている。
それをきれいにしないと、次に進めない。



広野町のJヴィレッジにある看板。
作業員の方の拠点になっているため、一般人は立ち入り禁止。
作業員の方は、交替で除染活動を行っている。



警戒禁止区域手前。この先行き止まりの印。
一般車両はここで引き返さないと行けない。



広野町と楢葉町の間のバリケード。
当然ながら一般人は立ち入り禁止。
警官や自衛官は一切いない。
作業員の方が除染活動をしている。



福岡ではお目にかかることのない看板。
警戒禁止区域内で作業しているのは地元企業の方、東電の社員の方、全国から集められた派遣社員の方。
東電は何もしてないというのは、嘘。
きちんと社員さんは中で防護服を着て活動しています。




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