タクシーの運転手さんと話し終えて、駅に戻ってぼけーっとしていると駅員さんに声をかけられた。
「どこから来たの?」という問いに、私は「九州から」と答えた。
「海岸は歩いた?」
海岸?いいや、そこには行っていない。ずいぶん遠くにある印象だから行くのは断念したのだ。
「わざわざここまで来たんなら。海岸沿い歩いてきなさいよ」
私は駅の窓から海の方を眺めた。
草原が広がっている。特に瓦礫があるようには見えない。
「津波の被害にあった場所だから。自分の目で見てきなさい」
驚いた。被災者は被災した場所を隠したがるのだと思っていたから、わざわざ教えてもらえるとは思わなかった。
私はリュックを背負い、駅員さんに言われた通りの道を歩いた。
広野町で働いている人達は皆優しいイメージがある。地元の人に限らない。水道管工事をしている人達も私に大きな声で挨拶してきた。
海岸には、若い私の足だったら十五分ほどで着くそうだ。
楢葉町とは反対方向だった。
こっち側は、あまり除染業者のトラックが走っていない。
時刻は夕方。小さい男の子とおばあちゃんが家の前で話していた。田舎にある平和な風景だった。
駅員さんが言っていた踏切があった。ここを渡って海に行くそうだ。
踏切を渡ると、潮の香りと草の香りがした。岸を叩く波の音がここまで聞こえる。
私の目の前には一面の草原が広がっている。いくら田舎でも殺風景すぎやしないだろうか。
駅員さんの言った、津波の被害の跡とはどこだろうか。
私はニュースで散々報じられた、船が陸に上がった光景や窓を刳り貫かれた建物を思い浮かべた。
突然、放送が入った。
穏やかな感じのゆっくりした口調の放送だが、内容は今日一日の放射線量の測定結果。
役所の人が毎日測定して、こうやって町民に報告しているのだろう。
マイクロシーベルトという単語が空にエコーしている。
不気味だった。
私はさっきの男の子とおばあちゃんを思い出した。
あの人達は、こうやって毎日放射線量を気にして生活しているのだ。
私は草原の間から、白いコンクリートが覗いているのを発見した。白いコンクリートは地面に四角を描いている。
見ると、私の後ろにも前にも右にも左にもコンクリートがあった。
歩いても、歩いても、コンクリートが尽きることはなかった。
私はそれらが何なのか察した。これは、全部家の土台なのだ。
家は津波で全部流され、家を支えていた土台だけがオセロ盤のように地面に残されているのだ。
明らかにここに、人の住んでいた場所があった。それが今では単なる平坦な土地になって、私は気づかずにそこを歩いていた。
私は白骨遺体の山を歩いているような気持ちになって目から涙が溢れてきた。怖いような、申し訳ないような、哀しいような複雑な気持ちだった。
元々涙もろいから、涙を止めることができなかった。
こんなよそ者の私が泣いたってなんにもならないことはわかっている。
でも涙がこみ上げてきたのだ。
海岸に着くと、即席で作られた防波堤と瓦礫があった。
波がテトラポッドを乗り越え、砂浜を叩いた。
通常時でも波がこんなに高いのだ。震災のときはどれほど高かったのだろう。
もう一度高い波がテトラポッドを超えた。
波が私を怒鳴りつけているようで、怖くなった。
踏切を渡ると、一面に広がる草原が目に入る。
荒れた土地に新たに道路を造っている。
再生するためには、一から造り直すしかない。
建設途中の道路。
この先はまだ繋がっていない。
一見草原に見える土地も、全て家があったところ。
地震で地盤が下がっているため、波が必然的に高くなる。
海岸沿いはまだ瓦礫が残っており、即席の防波堤が造られていた。
海を見ていて、ふと振り向けば津波の傷跡が。
広野町の海岸から見た火力発電所。
巨人のような威圧感は微塵もない。
波の方が背が高く見えた。
一日の放射線量が放送で知らされる。
津波で流された土地に、マイクロシーベルトという言葉がエコーした。
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