2012年9月19日水曜日

2012年8月9日 「真実を見てきて」と語る女将さん


 いわき駅に戻った。
 いわき市内は普通の町だった。
 駅では女子高生がベンチに座って話し込んでいるし、学生のカップルがバスを待っている。
 カフェでは、年配の女性がコーヒーを飲みながらおしゃべりをしていた。
 私のような大きなバックパックを背負った変わり者はいなかった。夕方だから、ちらほらサラリーマンらしき人達も道を歩き始めている。
 あまりにも日常の風景に、私は一人、感嘆の声を上げていた。
「何を失礼な!」と地元の人は思うかもしれない。
 しかし、申し訳ないが、いわき市がここまで活気のある町だとは思っていなかったのだ。
 いわきは無人に近いとか、皆放射性物質に怯えて殺伐しているというのが私達の描いていたイメージだ。
 海外のウェブサイトを覗けばさらにびっくりする。日本のスーパーでは皆ガイガーカウンターを取り出し、陳列されている果物や野菜を測定していると平気で書かれているからだ。
 笑ってしまう。日本全国、どこのスーパーに行ってもそんな人はいやしない。
 行ってみないとわからないことはたくさんあるのだ。
 行ってみたらそうでもないこともたくさんある。
 いわき市の様子もその内の一つ。駅の周りにはフラガール甲子園の旗が連なっている。昨日まで町中がお祭りだったらしく、まだ片付けられてない飾りがたくさんあった。
 文化交流会館なる建物があった。立派な建物だった。福岡市博物館を連想させる建物だ。旅館まで後少しだったが、この建物の木陰で少し休んだ。
 一日中歩いて、身体が汗臭い。旅館に入った時迷惑じゃないだろうか。
 時折吹く風は、九州の風よりちょっと乾燥していた。
 私はバックパックを再び背負い、歩き始めた。
 旅館に着くと、気の良い親父さんが迎えてくれた。建物内の説明を簡単に受け、私は鍵を受け取り部屋に駆け込んだ。
 バックパックを畳の上に降ろす。右肩がもう動かない。
 私は着替えとバスタオルを持って、風呂場に向かった。
 浴場は誰もいなかった。
 全身の泥を落として、湯船につかる。深いため息が出た。
 首までお湯につけて、肩をゆっくり回した。身体を痛めることは致命的だ。明日も歩き回らなければならない。
 湯船に三十分以上浸かっていたと思う。
 途中入ってきたおじさんに挨拶をして、私は風呂を出た。
 食事は食堂で、皆集まって食べる。最近の若い人にはこういうシステムは不人気とかで、女将さんに随分歓迎された。
 夕飯は豪勢だった。
 白飯、みそ汁、鰹のたたき、エビの丸焼き、とろろ、鶏肉の蒸し物、ポテトサラダ。
 ご飯もみそ汁もおかわり自由だ。
 私は子どものように白飯をかき込んだ。腹が減って腹が減って目が回りそうだったのだ。
「彼氏、子どもいらないの?」
 福島に行けば、放射性物質で精巣がぶち壊れ、子どもを作れなくなると本気で信じている人から、私の彼女はそう言われた。私が福岡を出る前の話。
 私は鰹のたたきも、鶏肉も、エビも何でもかんでも旨い旨いと言って口に入れた。福岡に帰ったら旨い物を一杯食べたと自慢してやるんだ。
 なんとなく、そんな気持ちになった。
 私は女将さんに「おかわり!」と言って茶碗を差し出した。
「そうやって美味しそうに食べてもらえると、作った甲斐があるよ」
 女将さんは一杯目よりご飯を少し増やしてくれた。
 ここの旅館は、労働者が利用することが多いらしい。
 皆楽しそうに仕事の話をしていた。
 ビールを飲んでいるおじさんらが話しかけて来た。
 九州から来たんだと言うと「いいなあ。俺なんか、母ちゃん(奥さんのこと)が旅なんて許してくれねえよ」とおじさんがぼやき、食堂の中は笑いに包まれた。
 友人と話すのとは違う楽しみがあった。地元の人と話すのは、旅の醍醐味の一つだと私は思う。
 私がごちそうさまをして、重たい腹を抱えて食堂を出ると、女将さんが声をかけてきた。
「明日はいわきを出るの?」
「いえいえ、いわきをもう少し見て回りますよ」
「いわきの海岸沿いは見た?」
「いわきはまだです。今日は広野を見てきました」
「そう」
 それから女将さんは地震の話を始めた。
「あの時はね、皆、運で死んでしまったの」
「運?」
「誰が悪いことをしたとか、良いことをしたとかではなくて、運が良い悪いで生き死にが決まってしまったの。海沿いのね、宿にいたお客さんは温泉に入ったまま津波に流されたのよ。今でも行方はわかってない。観光名所なんていいから、明日は津波の跡を見てきなさいよ。真実を自分の目で見てきて」
 私は女将さんの話を聞いて、涙を流しそうになった。女将さんの目にも涙が浮かんでいたからだ。女将さんの表情は、悔しいようでも哀しいようでもあった。
 私は部屋でビールを一缶飲み、布団に潜った。
 真実という言葉が頭の中に、しこりのように残っていた。

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