広野町のあちこちに民宿があった。この町も昔は観光客で賑わっていたのだろうか。見たところ、今は工事関係者で一杯だ。
広野町の内陸部は津波の被害の跡が全くない。さすがにこんなところまで津波はやってこなかったようだ。
ほとんどの家が閉め切っている。床屋も閉店中だ。道を歩いていても住民を目撃することはない。
町を離れ、楢葉町へ通じる長い坂を上っていくと、サッカー場の看板があった。何台もの乗用車がサッカー場の駐車場に向かって走って行く。
こんな状況でもサッカーをしている人がいるんだ。
私は駐車場へ続く坂を駆け上った。駐車場には何台も車が停まっていた。そんな大勢が集まる試合なんだろうか。広野町を活気づけるため、高校生が集まって練習試合をしてるのかもしれない。または、有名なサッカー選手が集まって試合をしてるとか。だったら、町に人が少なかった説明もつく。町の人のほとんどがサッカーの試合を見にきてるのかも。
私はわくわくして、サッカー場の中を覗いた。
唖然とした。
芝生は全部剥がされ、除染業者の車で埋まっていた。サッカー場ではなくなって、軍事基地のように重苦しかった。サッカー選手の叫び声も応援のかけ声も何も聞こえなかった。
ここは作業員の拠点の一つになっているようだ。
車から出てきた作業員の方と目が合った。
私は宿題を忘れた子どものように、バツが悪くなってあとずさった。
いよいよ警戒禁止区域の手前まで来た。
あちこちに立ち入り禁止の看板がある。
福岡で聞いたような自衛隊の車両や強面の警官はいない。人間の身長を越える壁があるとも聞いたが、そんなものはどこにもない。
警戒禁止区域直前には、簡単なバリケードと除染活動中の作業員がいた。ショベルカーも停まっている。作業員の方は防護服を一切着ておらず、マスクだけだった。
私は少し離れたところから彼らを見た。
一生懸命働いている彼らを見ていると、自分が冷やかしの一人に感じられた。東京行きの電車の中で、ジャーナリスト気取りで写真を撮りまくっている人達を思い出した。
自信を失ってしまった。
自分も結局はかっこつけて、カメラを持って福島に来ただけじゃないかと思った。
だが、私もここで何もせずに引き返すわけにはいかない。
福岡から来て、遠目に見て帰っただけでは、それこそ冷やかしだ。
私は写真を何枚か撮り、放射線量を測った。
地面にはミミズもアリもイモムシもいた。
土は死んでない。
私は駅へ引き返した。
望遠レンズで火力発電所を撮影した。
海岸沿いはまだ津波の影響が残っている。
それをきれいにしないと、次に進めない。
広野町のJヴィレッジにある看板。
作業員の方の拠点になっているため、一般人は立ち入り禁止。
作業員の方は、交替で除染活動を行っている。
警戒禁止区域手前。この先行き止まりの印。
一般車両はここで引き返さないと行けない。
広野町と楢葉町の間のバリケード。
当然ながら一般人は立ち入り禁止。
警官や自衛官は一切いない。
作業員の方が除染活動をしている。
福岡ではお目にかかることのない看板。
警戒禁止区域内で作業しているのは地元企業の方、東電の社員の方、全国から集められた派遣社員の方。
東電は何もしてないというのは、嘘。
きちんと社員さんは中で防護服を着て活動しています。