これほど自分の身長が大きいことを恨んだのは初めてかもしれない。
ムーンライトながらに乗って、東京まで約6時間。狭い座席で足を曲げて寝るのには苦労した。睡眠をとっているはずなのに、眠気が残っているのだ。
列車内は一時も電気は消えず、寝ずにゲームをしている人もいた。
乗客の年齢層は様々で、若い旅人っぽい人もいれば家族で旅行中の人もいた。鉄道マニアの人は、明らかに見た目でわかるもんだ。車内の様子や電車の外観を撮影する気持ちはわかるが、車内の電灯の写真もアングルに拘って撮るのは私には理解できなかった。
電車の外は薄明るい。
身体は楽器のようにパキパキ鳴っている。
私は痛い首をさすりながら携帯の時計を見た。もうすぐ横浜に着く。東京到着は今から三十分後だろうか。
車内にピピピピピと音が鳴り響いた。誰かがセットした目覚まし時計が鳴っているのだろう。音はすぐに鳴り止んだが、隣の車両でも同じ音が鳴り始めた。
列車が急に止まる。
乗客は不思議そうに外に視線を移した。
突然の車内放送。踏切に不審物が落ちているという放送に、私は「またか」と思って椅子にもたれた。
実は昨日鈍行列車で移動している間も似たようなことが起こったのだ。数分もしたら運行は再開する。
再び車内放送が入った。
放送の中に出てきたキーワード「人身事故」。
眠気が吹き飛んだ。
車内はざわめく。
窓の外を見ると、車掌や鉄道関係者の人達が集まっている。
足の裏から妙な不安が這い登ってきた。
関係者がしきりに見ているのは、私が乗っている車両の真下なのだ。つまり、それが何を意味するのかと言うと。
事故に遭った人は、私の足元にいる。
車内では立ち上がって、窓に顔をへばりつける人が続出した。私は状況を簡単にツイートした。こういう時、当事者の発言は大切だと思ったからだ。
やがて現状を詳しく把握したっぽい客が私の車両に現れた。
鉄道に詳しい人のようで、彼が目撃した状況を解説し始めた。
「(内蔵が)車輪に絡まってる」
「白いスニーカーが落ちてた」
「どうやら踏切から突然、年配の男性が飛び込んできたらしい」
男性は次々語った。
私の斜め前に座っている女性は蒼然としていた。若い男の子達は、解説している男性を冷やかした。黙って、状況をツイートしている人もいた。
「ふざけんな!飛び込んでんじゃねえよ!!」
車両の後ろから怒鳴り声が聞こえた。
「これより、救助活動を開始します」というアナウンスが入った。
しかし、「救助活動」という言葉を純粋に信じた人は何人いただろう。
シャッター音が聞こえた。
何を思ったのか。ジャーナリスト気取りなのか。許可も得ずに、車内の様子や乗客の様子を撮影する者も現れ始めたのだ。
私は、そこでシラケてツイートするのを止めた。
一体ツイートなんてしてどうなるというのだ。私はジャーナリストでもなんでもない。今の状況を伝えるべき相手なんていないのだ。写真を撮ったり、ツイートしたりするのは、伝える者のフリをして自分の立場を無理矢理作っているだけだ。
そんなことを言ってしまえば、福島の旅そのものを否定することになるのはわかっている。
福島には見物客が集まって、住民の方は不快に感じているとネットの記事で見た。私が福島へ行けば、その迷惑をかける人の一人になるのは間違いない。
救助隊が私の車両の下でごそごそして数十分、列車は運行を再開し、私は東京の友人宅に行くことが出来た。
友人は仕事の疲れがたまっているのか、眠そうに目をこすっていた。
私が人身事故の話をすると、友人は「それ怖いね」と一言言った。
「だって、お前が乗ってた車両って後ろの方だろ?そこに飛び込んできたってことは、列車が通り過ぎてる中へ飛び込んできたってことじゃん」
彼の言う通りだ。
線路に飛び込んで列車に轢かれたのなら、それは死が訪れたことになる。
しかし死ぬとわかっている場所に飛び込むのは、飛び込む前から死んでいることと同義。生きることに未練があったら、そんなことはできない。
そう考えると、とたんに恐ろしくなった。
「その人、迷惑なことしたね」
私は、「そうだね」と答えた。
友人は眠そうに目をこすり、大きなあくびをした。
0 件のコメント:
コメントを投稿