荷物をまとめて、私はカウンターでチェックアウトをしていた。
「九州からここまでどれくらいかかりましたか?」
とは、旅館の店主である。
この店主は齢八十になる大ベテランだ。
あの大地震がある直前まで、「そろそろ店を閉めようか」と思っていたらしい。
皆で食事をして、皆で風呂に入るのは今の若い人には受けない(私は例外というべきか)。自分も後何年生きられるかわからない。建物も汚れてきたのでもう辞めよう。
従業員とそんな話を進めていたあの日、いきなり大きな地震が起きた。
一般的に知られているのは三月十一日の地震だが、いわきではその一ヶ月後の四月十一日にも大きな地震が起きている。
いわき市内の背の高いホテルは壊滅状態。とても経営が出来る状態ではなかった。
ほどなくして、県外からボランティア団体がやってきた。
地震で大ダメージを受けなかったのは、最新の建物で耐震強度のしっかりした建物と背の低い、昔ながらの建物のみ。
昨日私が小休憩をした文化交流会館も避難した人の宿泊所となったようだ。
ボランティア団体を宿泊させる場所が圧倒的に少なくなったいわき市内で、立ち上がったのは小さな旅館だった。
この店主も旅館の経営を継続、出来る限りのボランティア団体を受け入れ、風呂と食事を毎日用意した。
「おかげで忙しくなりました。まだ海沿いの宿泊施設は復旧してないので、お客さんは市内にお泊まりになるんです。できればお客さん(私のこと)を車で案内したかったのですが、今日もすぐ団体さんがいらっしゃるので」
そうやって話す店主さんはどこか頼もしかった。八十歳には見えない凛とした佇まい。
「今日はどちらに?」
「決めておりません。海沿いに行ったらいいと女将さんに言われました」
「ええ、海沿いがいいでしょう。一体どんな被害だったのか、見て来るべきです」
私は挨拶をして、旅館を後にした。
まだ、空気の中には朝の香りが残っていた。
私は目の前の文化交流会館になぜかお辞儀をした。