2012年11月7日水曜日

2012年8月11日 交流スペース「ぶらっと」


 この日のことをどのように書こうか随分悩んだ。
 悩んだ結果、可能な限り話せることだけを書こうと決めた。
 私はここに記した意外でもたくさんのお話を聞くことができた。だが、それは「公表しないでくれ」という約束の元私に語ってくれた内容だ。
 なので、ここでは記さない。


 この日の始めに、私は頭痛とともに目が覚めた。
 昨日楢葉町に入ったから放射性物質の影響か、とも一瞬考えたがそんなバカな話はないのである。あの程度の放射線量で急性の症状が現れるはずなどない。
 だいたいどこか外出すると私は体調を崩す体質なのだ。
 クーラーのせいで体が冷えたのかと思い朝風呂などを楽しんだが、いっこうに体調がよくなる気配はない。
 私は朝食をたらふく食って治すことにした。
 疲労か、慣れない環境で緊張していたのか。
 外出先で体調を崩したらとにかく食ってみることだ。体力がなければ万が一の時にも対処できない。
 私はあっさりしたコーヒーを何杯か飲み、荷物をまとめた。まだ体調は優れなかったが、今日が福島を見られる最終日。ぐずぐずするわけにはいかない。
 昨日別れ際にTさんに教えていただいた場所へ向かった。
 いわき市イトーヨーカドーの二階にある「ぶらっと」という交流スペースだ。
 私はここで多くの人に会い、多くの話を聞いた。
 富岡町からいわき市へ避難してきている女性。
 彼女は今の生活を「夢を見ているようだ」と語った。
「ある日突然、危険だから避難してくださいと言われ、いわきの借り入れアパートで暮らし始めた。今でもなぜだかわからない。実感がわかないのよ」
 女性は優しい笑顔でそう言った。
 私が「九州ではいわき市にも入れないと思っている人がたくさんいますよ」と言うと笑われた。
「逆なのにね。震災前より人口がすごい増えた。今、空いてる物件なんてないわよ」

 
 もう一人、若い女性と話した。
 彼女も両親とともにいわき市で避難生活を送っている。
 話題は子どもの話になった。
「子どもを生んで育てたいけど、ちょっと怖いかなー」
 軽い口調でそう言っていたが、私は何も言えなかった。ツイッターで「怖いなぅ」と呟いているのとはわけが違うのだ。
 彼女は時折警戒禁止区域内の実家に帰っている。家の中は311日のまま止まっている。滞在時間は決まっているため、家の掃除も満足に出来ず、家財も持って帰れない。
 実家からいわき市への帰還途中、警察に車を止められ、車へ水をぶっかけられたそうだ。基準値より放射線量の値が高かったらしい。
 彼女は、警戒禁止区域内でのルールを面白おかしく語ってくれた。
 私が昨日目撃したように、警戒禁止区域には自家用車か決められたバスで入る。実家へ入るのは自由だが、冷蔵庫を開けるのは禁止事項らしい。
 その理由がユニークなのである。
 震災から一年以上経っているため、冷蔵庫の中身は全て液状化している。以前、実家に帰った人が興味本位で冷蔵庫を開けると、中の液体が噴き出して、体にかかったそうだ。
 警戒禁止区域から出るときも行きと同じバスに乗る。その液体がかかった人は、服を脱ぐことも出来ず、そのままバスに搭乗した。バスの中は酷い悪臭が充満し、乗り合わせた人の鼻がダリの描いた時計顔負けに曲がったらしい。
 それ以来冷蔵庫を開けることは禁止。
 ぶらっとのメンバーは面白おかしく語っていたが、私は内心焦っていた。
 警戒区域内の想像を絶する状況。
 冷蔵庫の中身が全て液状化なんて、普通の人は経験したことない。せいぜい、タマネギから芽が生えるくらいだ。
 偶然、東電社員の方ともお話をすることも出来た。
 彼は毎日警戒区域内で除染活動をしている。
「こういう人がいるおかげで、私たちは安心して避難生活を送れるんですよ。誰かが嫌な仕事をしてるから。ありがたい。ありがたい」
 最初に私と話してくれた女性が両手を合わせた。
「元々東電の社員だからやってるだけです」
 社員の方は、そう言っていた。
 福島でも東電へのバッシングは酷い。ネットを飛び交う東電を攻撃する発言。私もしたことがある。
 今回の事故の責任は東電に全てある。震災後、東電は何もしていない。
 こういう言葉がtwitter上を飛び交っているのだ。
 だが、どうだろうか。昨日私を案内してくれたT氏の知り合いにも東電の社員がいる。その社員さんも家族とバラバラに暮らしながら除染活動を続けている。
 東電社員だから、そのくらいの仕打ちは当然だろうか?
 原発を作った人間が全面的に悪いのだろうか?
 政府が悪い? 国民が悪い?
 私だって家にいるときはニコニコ動画を見たり、podcastを聞いたりしている。本を印刷する機械も電気で動く。食べ物を育てるのだって電力がいる。
 電気に頼った生活。
 震災から一年以上経った。誰が悪いと問いつめる時期は過ぎたのではないか。被災地は確実に復興へと歩を進めている。
「東電が悪い。原発が悪い」と言い続けているのは被災地以外の私たちだけではないだろうか。
 私は再び頭痛が再発しそうになった。
 一人で考えても、より複雑になるだけだった。


 その後、昼からシルバー体操というものを行った。
 ボランティア活動の一環として行っている。
 私も積極的に参加した。さっきの東電の方は、体操中に腕が上がらなかった。
「おじさんだから」
 そう言って笑っていたが、それだけではないはずだ。
 私だって広野町と楢葉町を見てきた。除染作業は過酷な肉体労働だ。それを毎日行っている。
 筋が痛み、体は悲鳴を上げているのではないだろうか。
 ネットで東電の悪口を言っていた自分が恥ずかしくなった。
 ここの交流スペースでは他にも色々な活動をしている。
 参加者に男性が少ないのが当面の課題らしい。女性に比べて男性は引きこもりがちで、外に出てもパチンコに行くことが多いらしい。
 昨日のTさんの話と繋がった。
 ここは小さな交流スペースだが、避難生活者の未来を支える上で大切な場所なのだ。
 私は荷物をまとめて代表者の方に挨拶をした。
「今から広野に行ってきます」
「頑張ってくださいね」
 と言われた。
 頑張っている人に頑張ってくださいねと言われるのはなんだか気恥ずかしかった。

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