2012年8月28日火曜日

2012年8月9日 広野町①



上野駅からいわき駅まで運んでくれる特急スーパーひたち。




 友人の家を七時半に出て、上野駅からいわき駅まで特急で向かった。そこから鈍行列車に乗り換えて、広野町へ。
 事前にyoutubeで広野駅の様子は知っていたが、実際に行ってみると動画と随分違った。意外と広野町へ行く人は多く、列車の中も田舎の列車にしては結構人が乗っていた。駅周辺は閑散として人が誰もいないのかと思いきや、タクシーが何台も停まっていて賑やかだった。
 広野駅から先へは電車で行くことが出来ない。時刻表も震災後に新しく変えられているようだ。広野駅の線路にはバリケードがしてあって、列車が先へ行けないようになっていた。
 奇妙な感じだった。線路は続いているのにその先に進んでは行けない。
 私は近所のお菓子屋でおはぎを買って、重たいバックパックを背負ってひたすら歩いた。福岡で買っておいた地図を出して、線路沿いに歩いていく。極度の方向音痴なので道に迷わないか心配だったが、人間、集中力をフルに発揮すればなんとかなるものだ。
 広野町のあちこちで水道管工事が行われていた。後から聞いた話だが、震災で壊れた水道管を直しているようだ。


こういった看板があちこちにある。


災害の傷跡はこんな形でも残されていた。


 狭い道路を大きなトラックが行き来していた。トラックには「除染活動」の文字が入っている。トラックが通り過ぎる時に舞い上がった砂埃が、私のかけている安いサングラスに貼り付いた。
 太陽がギラギラ照りつけて来る。汗が吹き出したが、福岡のように蒸し暑くはなかった。
 私は火力発電所の煙突を目印に歩き続けた。田舎の町の中に巨人のようにそびえ立つ発電所は、異様な威圧感を放っていた。
 福島の人は発電所と身近なところで生活してきたのだ。
 もちろんそれが悪いと言っているわけでも、可哀想と言っているわけでもない。だが、福岡や広島で暮らしてきて、青春十八切符で今まで色々な街を見てきたが、広野町の光景は他に類のない初めての体験だった。
 広野町はどこを歩いていても業者の車が走っていた。うっかりしていたら踏みつぶされそうだった。大きなバックパックを背負っている私を、地元の農家の人が不思議そうに眺めて来る。
 広野町へ着いてすぐ、「取材等は一切お断り」の看板を見た。
 私がよそ者であると、改めて実感した。


田舎町にそびえる火力発電所の煙突。



サッカー場から見える火力発電所。
この発電所が東京の電力を補っている。


草原の中に発電所の煙突が目立つ。
手前の電線は、広野駅から木戸駅に通じる線路の送電線。
今はこの線路は使われていない。

0 件のコメント:

コメントを投稿