無理を言って楢葉町に連れて行ってもらった。
「福岡からここまで来たんなら、見ておくべきですよ」というのがT氏の言葉だ。
昨日まであった広野町と楢葉町の間のバリケードはなくなっていた。
Twitterによると許可がないと入れなかったはずだが、地元の方がいるからか、それとも夕方だからか、特に楢葉町の手前で車が呼び止められることはなかった。
福島に旅立つ前、ネットで警戒禁止区域の中の写真は何枚か見ていた。掲示板では「時が止まっている」というコメントが書き込まれていた。
が、安易にそういう言葉で締めくくっていいものなのだろうか。
実際に無人の町を目にすると、感想を簡潔に語れないのが正直な所だ。
道路にはひびが残っていて、電柱も傾いている。店や看板は駐車場や道路に無造作に倒れ込んでいる。
道路のひびの隙間から草が生えていた。家の屋根まで届きそうな背の高さだ。
車で楢葉町に入った時から酸素濃度が高くなったような気がした。気がしただけだと思う。人のいない町はそういう錯覚を起こさせる。
私は車の中でガイガーカウンターの電源を入れた。
車内なのに、0.81μSv/hという数字が表示された。
私は唾を飲んだ。
今まで歩いて来た町とはわけが違うのだ。
車窓の外はずっと草原が続いている。どこまで走っても緑の大地。
「これ、元は田んぼだったんですよ。震災から一年以上放置されて、この有様です」
私は言葉が出なかった。
この田んぼを蘇らせることはもう出来ないだろう。
町役場に人がいるようだった。
「除染は役場なんかを重点的に行います。そうしないと町が機能しないんです」
「私なんかからすると、こんな線量が高い町を入場可能することはおかしいと思ってしまいます」
「外部の方はそう思うでしょうね。でも、こうやって警戒禁止区域が解除されて、業者が除染活動をできるようになって初めて町が復興に向かえるんです」
「私たちは、防護服を着た自衛隊が除染活動をしてて。除染が終わったら警戒禁止区域が解除されるんだと思ってました」
「自衛隊はもういませんよ。除染活動をやってるのは地元企業の社員さんや東電の社員さんです」
「民間の方が、行ってるんですね。てっきり政府の組織がやってるのかと」
「震災直後は自衛隊もたくさんいましたけど、今はいないかな」
対向車線を車が通り過ぎていった。
「除染活動が終わったんでしょうね。夕方だから」
私は対向車の中を見た。
防護服を着た人が乗っていた。戦争みたいだ。心底、そう思った。
楢葉町と富岡町の境界線にバリケードが敷いてあった。警察車両が数台停まっている。
私たちは道路の脇に車を停め、バリケードまで歩いていった。
富岡町方面から車が何台も出て来ている。
ガイガーカウンターの数値は1.29μSv/hを示している。今回の旅で最高の値だ。
「これが富岡町だと家の中でも3とか4を示すんですよ」
T氏はそう語った。
私がバリケードに向けてカメラを構えると、マスクをした警官が近づいて来た。
「報道の方ですか?」
私は一瞬返答に困ったが、警察官の方から「フリーの方?」と訊かれ「そうだ」と答えた。
T氏が地元の人間だと答えると、警官は私たちを交互に見た後、ニッコリ笑った。
「撮影はマズいですかね?」
「いえいえ。結構ですよ。どちらから来られたんですか?」
警官は意外と気さくに話してくれた。
「福岡です。九州の福岡から」
「それは、また遠い所からご苦労様です」
「お兄さんはどこの県警の方?」とT氏が尋ねると、警官は「三重県警だ」と答えた。
全国からこうやって人材が集まっているのだ。彼らは二週間交替でバリケードを守る仕事をしに来ているらしい。
T氏はバリケードのある場所とない場所をしきりに警官に確認していた。地元の人間は、なるべく自分の家に帰りたい。やはり気になるのだろう。
警官が言うには、どんなに小さな道でもバリケードはしてあるそうだ。
私は写真を何枚か撮り、T氏とともに警官と話した。
話している間にも除染活動を終えた車両がバリケードを通過していく。囚人を護送するような大きなバスの中で、防護服を着た人達が座っていた。
私たちは警官に挨拶をしてバリケードを後にした。
再び草原を眺めながらひび割れた道路を走る。
一見大丈夫そうな民家も、扉を開けると酷い有様らしい。
物盗りの被害、動物に荒らされた跡、腐った畳や壁。カビが酷くて家の中でマスク無しでは呼吸できないというではないか。
T氏はあえて遠回りをしてくれた。
「大手(報道)の人もここまで見てないでしょ」
無人の民家の間を車で通り過ぎていく。
警察の車が常に巡回していると聞いていたが、楢葉町では一台しか見ていない。もっと数十メートルおきに事情聴取をされるのかと思ったが、全然そんなことはなかった。
「これはマズいな」
T氏は呟いた。そうなのだ。防犯の意味でよろしくない。もっと巡回を徹底しないと、物盗りが横行してしまう。
車は踏切で停まった。
あまりの非日常の光景に私とT氏は笑ってしまった。
草で覆われた線路。ツタが絡み付いた遮断機。
信号には電気が流れていたが、踏切には送電されてないようだ。
私たちは車から降りて撮影をした。
熱で収縮を何度も繰り返した線路は使い物にならないだろう。鉄道を再度通すためには全面的な草取りをしなければならない。
私たちは笑い続けた。言葉にできないから。こんな光景を見せられて、一体何を呟けと言うのだ。
閉鎖中の木戸駅にたどり着いた。
車から出ると酸素の濃い空気が肺に入った。
数歩歩いただけで、服に虫が付く。
ジャングルの中を歩いているみたいだ。
駅舎の中に動物用のエサが置いてあった。野生化したペット向けに置かれたエサらしい。ボランティアの方が置いている。食べ物がないと、動物は民家を荒らしてしまう。
T氏はホームに設置している切符箱を開けようとしていた。
「3月11日の切符が入ってるかもしれない」
なるほど、あの日以降切符を入れる人はいないし、切符自体発行されてないはずだ。3月11日の切符が出てくれば、それはちょっとした遺跡である。
だが、出せなかった。さすがに鍵がしてある頑丈な箱だった。壊せば、器物損壊になる。
駅の駐輪場には自転車が数台停めたままだった。
「3月11日、高校生とかがここに自転車を停めて、そのまま学校に行って、その先で地震に遭った。あの自転車は震災の時からずっと停まってるんです。持ち主が帰ってこないから」
私はT氏の話を無言で聞いた。
この町の時は確実に3月11日で止まっている。それだけではない。草木は伸び放題で、昆虫が当たり前のように飛び回る空間。震災から雨だって降っただろう。
人間とは違う時がこの町では流れているのだ。
時が止まった町ではない。
人類の時は、とっくに忘れ去られていた。
一面に広がる草原も、
元は田んぼだった所。
草は伸び放題。
震災前は、「牛に注意」看板があり、
車は牛を避けながら走っていた。
今はそんな面影は全然ない。
除染用の車両が道路を行き来している。
楢葉町と富岡町の間のバリケード。
この先は許可がないと入ることは出来ない。
撮影にも厳しいのかと思ったが、
意外とすんなり撮影を許可してくれた。
ビニールハウスもご覧の有様。
人の手が加えられない畑はこうも荒れ放題になってしまうのか。
踏切で撮影した写真。
3月11日から時が止まっている木戸駅。
駅舎の中には野生化したペット向けのエサが置いてある。