2012年10月6日土曜日

2012年8月10日 久之浜


 旅館を出て、電車に乗った。昨晩見たニュースによると楢葉町の警戒区域が解除されたらしく、一般人でも入れるようになったそうだ。
 ツイッターの情報によると楢葉町に入れるのは極わずか。地元住民と警察と除染業者のみ。住民の人も長時間楢葉町の中に滞在することは出来ず、夜間の泊まりは禁止だそうだ。
 正直私が入れるのか微妙なところだったが、福島に来た翌日に楢葉町解除のニュースは、これはもうご縁としか言いようがない。色々複雑な気持ちはあったが行ってみるしかないと思った。
 実は昨日私のツイッターに連絡があった。私が福岡から福島へ一人旅で来ているのを見て、興味を持たれた方からだった。
 私はいわき駅から広野町へ向かって電車に乗った。
 不運にも今の時間帯広野町へ向かう電車はなかった。途中まで電車で行って徒歩で広野町、楢葉町へ行こうと思ったが地図を見る限りどうも無理そうだ。
 移動中、津波の傷跡が車窓から見えた。
 私は久之浜駅で下車し、海岸に向かって歩いた。海に行けば少なくとも何かあるだろう。
 昨日の広野町より人は多い気がする。駅の本棚には子ども向けの漫画も置いてある。道を歩いている人の数も圧倒的に違う。
 駅の周りの様子は至って静か。田舎の駅という感じだ。波の音がすぐそこまで聞こえる。お昼に備えてお食事処を探したが、簡単に見渡しただけでは見つからなかった。
 私は自動販売機でジュースを買って飲みながら歩いた。
 家の雰囲気も広野町より生き生きとしている。この町では震災の被害らしきものはなかったのかもしれな……。
 ……。
 私は唖然とした。
 目の前に平らな土地が広がっていたからだ。
 家の土台だけが取り残されていた。
 まるで芝刈り機で町ごと刈り取ったようだった。
 広野町の海岸沿いを思い出した。いや、草木が生えていない分、視覚的なショックはこっちの方が大きい。
 私は瓦礫の中を歩いた。家と家の土台の間に、かつて人が行き来していた小道が残っていた。
 瓦礫なのだから家の土台の上を歩いても良いのだろうけれど、とてもそんな気分にはなれなかった。
 家の門だけが残されている場所もあった。表札はわざと外しているのだろうか。玄関だけ残っている家でも、表札の部分は刳り貫いたような痕がある。
 実を言うと、ここから先の記憶があまり鮮明に残っていない。カメラでなるべく隅から隅まで撮ろうとしたことは覚えているが、何を考えながらシャッターを切ったのか記憶にないのだ。
 海岸の防波堤も大きくひびが入っていた。
 私は防波堤に座って、ジュースを飲んだ。
 近所の人が散歩をしていた。その人は防波堤の上の慰霊碑みたいなところに両手を合わせ、腕を元気良く振りながら散歩を続けた。
「こんにちは!」
 私が挨拶すると、向こうも大きな声で、
「こんにちは!!」と挨拶を返してきた。
 瓦礫の中を大きなビデオカメラを回しながら歩いている女性二人がいる。アーティストか何かなのだろうか。
 高校生くらいの男の子もコンデジを持って、瓦礫を撮影していた。
 大きなバイクに跨がった男性もやってきて、瓦礫を丁寧に撮影していた。
 皆、無言だった。
 こういう場所に来たら、もっと悲しい気持ちや空しい気持ちが次から次に出て来るのかと思ったら、そんなことはなかった。
 頭の中が真っ白で、言葉にできるような気持ちが湧いてこないのだ。
 私は防波堤に座ってミネラルウォーターを飲み干した。
 相変わらず波の音は、怒鳴り散らすようにうるさかった。







久之浜海沿いの町の様子。
広野町に比べて人は多いが、それでも閉店中の飲食店など目立つ所は多い。



手前に見えるのは防波堤。
津波のせいなのか粉砕している。




なぜか奇跡的に残った神社。
津波の中この社殿だけは無事だった。
鳥居はさすがに壊れてしまったため、震災後新たに建立した。




 久之浜駅でジュースを飲みながら私は携帯をチェックした。
 ツイッターでやりとりをしていた方(以下Tさん)から連絡が来ていたのだ。
 私が一人で廻っているのを見て心配になり、ぜひ案内したいというのだ。
 正直最初は緊張した。
 見知らぬ土地で見知らぬ人と会う。
 ちょっと考えたが、これも一人旅の醍醐味だ。それにこの後の当てもない。
 私はOKの返事をした。
 数十分後、Tシャツ、短パンにサングラスの男性が現れた。私が予想していたより年上の方だった。
 探るような様子もなく、すぐに私を車に乗せてくれた。
 お互いに簡単な自己紹介を終え、Tさんは車をすぐに発進させた。
 久之浜駅の裏にある浜風商店街に向かった。
 ここは震災後、地元の人達が作った商店街だ。プレハブで作られた簡易的な建物で構成されているが、売られている物はかなりしっかりしている。日用雑貨からテレビ、食料品まで私が予想していたより豊富な物が扱われていた。
 その商店街の中に久之浜を紹介している情報館がある。
 震災直後の写真や現在取り組んでいる復興へのプロジェクトを紹介している場所だ。Tさんはすでにそこの方とは面識があるらしく、挨拶をしていた。
 海沿いの平地は、震災後瓦礫の山が堆積していた場所らしい。ニュースで船が陸に打ち上げられた映像を見た人は多いと思う。
 あそこはまさにそんな状態だったのを業者の皆さんが取り除いてくれて、回復したのだそうだ。
 情報館の方は壁一面に貼られた震災当時の写真を指差して、
「私自身も当時のことを忘れそうになる。だから、こうやって写真を貼って忘れないようにしている」と語った。
 そこから震災瓦礫の話に移った。
 津波の被害で発生した瓦礫は取り除くことは出来ても、未だ処分することは出来ていない。福島の海岸沿いには震災瓦礫が貯蔵されている。
「瓦礫を処分しないと復興を進めることが出来ない。瓦礫受け入れ先が見つからないのも大きな問題なんです」
 私は福岡や北九州で行われている瓦礫受け入れ反対のデモを思い出した。放射性物質に汚染されている瓦礫を受け入れたらガンになるという情報が福岡では当たり前のように飛び交っているのだ。
 Tさんに「実際に地元の人としてどう?」と聞かれて、私は返答に困ってしまった。
 放射性物質に対する知識がないのに反対していましたなんて、とてもではないが恥ずかしくて言えなかった。
 商店街の中を歩くと地元の子ども達が私を見てきた。
 皆で集まって遊んでいる。
 瓦礫を受け入れないと、この子達の町が復興しない。そう思うと、なんだか複雑な気持ちになった。


浜風商店街の様子。
建物自体はプレハブだが、お店の種類は豊富だ。
理髪店、食事処、日用雑貨など普通に生活するにはなんら困らない。
規模は小さいながら活気のある場所だ。
情報館では県外の人にも好意的に情報を教えてくれる。



ニュースなどでは大々的に取り上げていないが、多くの有名人が久之浜を訪れている。






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